イントロダクション


本論に入る前に、服部圭郎著『人間都市クリチバ 環境・交通・福祉・土地利用を統合したまちづくり』(ISBN:4761523395)からの引用を2つほど読んでもらうことにする。


まずは「はじめに」より。

我が国では、都市計画に基づいてつくられた都市としてはブラジリアの方がクリチバより有名である。しかし、都市計画という観点からはブラジリアは、惨憺たる失敗であった。しかも、都市が出現して、あまり時間が経っていない時点で、失敗の烙印を押されている。クリチバはブラジリアを反面教師として、66年のマスタープラン作成時に都市のあり方を検討した。ブラジリアの都市計画において著しく欠如していたヒューマンスケール、優れたアメニティ、公共交通を中心とした都市の発展などが、クリチバの都市として進むべき方向性であるとマスタープランにおいて掲げられた。66年というと、ジェーン・ジェイコブスの著名な『アメリカ大都市の生と死』が出版されてから4年ほど経っており、従来の一部の権力者と建築家などによるトップダウンのスラム・クリアランス的な都市計画の在り方に、大きな疑問が出てきた頃である。ブラジリアやコルビジェの計画したインドのチャンディガールなど、机上では素晴らしいように思えた計画も、いざ実現したら恐ろしく非人間的でひどい空間であった。アメリカにおいても、スラム・クリアランスによって新たに創られた空間は、従来の人間臭さが感じられない漂白されたような無機質なものであった。ジェーン・ジェイコブスの指摘するように、従来の都市計画の方法を変える必要性を良識のある人々が痛感し始めた頃である。

クリチバはブラジリアのように、しっかりとした都市計画に基づいて発展してきた都市であるが、後者とは違い、ヒューマンスケールの、アメニティに富んだ素晴らしい都市空間を実現させた。同じ都市計画という手法を採用しても、その方向性、ビジョンが異なると、その結果も大きく異なるということが、この2都市を比較するとよく分かる。ブラジリアが都市計画の失敗であるなら、クリチバこそ都市計画の勝利である。そして、それは「効率性」といった指標ではなく、「人」を中心に据えた都市計画を展開させてきたことの成果なのである。都市の豊かさとは何か、都市は誰のためにあるのか、なぜ人は都市を必要とするのか。クリチバがマスタープランを策定してから30年以上に及ぶ都市政策の積み重ねは、まさにこれらの問いに対しての解答に他ならない。優れた計画があるところに優れた成果があるという、ある意味では当たり前のことをクリチバ市は我々に確認させてくれる。


(pp. 4-5)

なお、「はじめに」の全文は以下のページでご覧いただけるので読みたい方はどうぞ。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/mokuroku/book/ISBN4-7615-2339-5.htm


もう1つは服部氏が初めてクリチバを訪れたときの印象。

著者も最初にクリチバを訪れた時は、ただその都市デザインの美しさと整然さに驚いたものである。それは、サンパウロの猥雑としたカオスとは異なり、秩序を有しており、かといってブラジリアのような非人間的な幾何学的な規則性からも解放された、ヒューマンスケールの素晴らしい空間であった。


(p 94)


とりあえずここまでを一旦まとめよう。

街は、行き当たりばったりの無計画のままに成長すると、四方八方好き勝手に拡張してカオス的な様相を呈してしまう。つまり、金があれば東京や他の多くの日本の都市のようになり、金がなければサンパウロみたいになる。

そこで都市計画が必要になってくるわけだけれど、そのときに「街とは一体何だろうか?」ということをよく知ってないと、ブラジリアやチャンディガールや、あるいはフラーが計画したオールドマン・リバーズ・シティ*1のように、街は秩序領域の深みに落ち込んで、非人間的なものになってしまう。

レルネル元市長をはじめとするクリチバの都市計画者たちは、「街とは何か」をよく知っていたんだろう。そのために、しっかりとした都市計画に基づく「人間都市」――言わば「カオスの縁」的な街*2――を発展させることができたというわけだ。


要するに、無計画だとグチャグチャな街になってしまうが、計画の立て方を間違うと、今度は街特有のダイナミズム(躍動)を失ってしまう。街ってそういうもんじゃねえだろう、というのが服部氏(や「失敗の烙印」を押した他の都市計画家たち、そして僕)の考えだ。
少なくとも、「街とはダイナミックなもの」ということだけは言えるってことだね。


ここまでの話はOKかな? 「なんとなく言いたいことはわかった」程度でいいんだけど。


では話を進め、もっと深く考えていこう。街とは一体何だろうか?

*1:イリノイ州イースト・セントルイスにできるかもしれない、12万5千人が住めるばかでかいフラードーム。その計画はまだ実現していないが、つぶれたわけでもないそうだ。

*2:正確に言うならば、「秩序領域とカオス領域の転換点(=カオスの縁)付近の秩序領域」的な街かな。カウフマンに倣うと。