物語

ともかく、イスラム側全体としたら、この事件はある一定の成果を上げた、とは言えないだろうか?

「ごめんね。うちの若いもんが先走っちゃってさあ。今やめさせるから。俺らはさあ、向かってくるやつには牙を向くけど、そうでない相手には友好的なんだよ。ほんとは。」
そうやって偉い人が顔を出すことによって、イスラム側は日本側との距離を少し縮めることに成功した。
このように考えたらおかしいだろうか。


(ちなみにネット上では、「人道的だ」「感謝しよう」と言い出す人もいた。
向かってくる相手には牙を向くのだから、人道的という言葉は当たってない。
感謝するのは悪いことではないが、過度に感謝する必要もない。彼らは彼らの利害に基づいて行動しただけだからだ。感謝するならば同時に、日本に少なくとも敵に回したくはないだけの国力があることを誇ってもいいかもしれない。)


物語は非常に複雑に進行しているし、実際に何があったのかよくわからないので、これ以上何も書けない。
しかし、アメリカ政府もイスラム政府も日本政府も、それから個々の日本人もテロリストも、それぞれが出来事を無意識のうちに物語としてとらえ、またそれぞれが自分が信じている物語をアピールする形で出来事を起こす、という形で全体としての物語が進行しているのは間違いないだろう。
この視点を見逃すと、自分の住む世界で何が起こっているかを把握することは全くできなくなってしまうし、これから何が起こってくる可能性があるかを予測することもできない。