映像

あの映像を初めて見た時、「あ、この3人は殺されることはないな。少なくともバカな政府が余計なことをしない限り。」と感じた。

自作自演だ、と思ったわけではないが、日本人への紳士的な態度が見え隠れしていると思ったのだ。


以前、イスラムの状況に詳しい山本芳幸さんの本なんかを読んでいたので、イスラムの反アメリカ的な人たちには「日本も昔アメリカに散々やられたんだよな」というシンパシーがどこかにあるんだろうと思っていた。
そんな彼らが、何のメリットもないのに、わざわざ日本を敵に回そうとするだろうか。


カメラの前でわめき散らして脅すのと真逆の態度で、普段は接しているのだろうと想像した。
「本当は「自衛隊は帰ってくれ」と頭を下げて頼むところなんだけど、立場的にそうもいかないからね。とりあえず脅しておくよ。」という臭いがした。


もしも、本当に敵国だと認識している相手(例えばアメリカ)に向けて、人質を脅す映像を作るとしたら、どういったものになるだろうか。

私がテロリストなら、こう作る。

まず目隠しした3人をバラバラに部屋の隅に座らせる。自分たちはできる限り映像に入らないようにする。1人がカメラに向かって淡々と要求を述べる。それから他の1人が銃を構え、隅で怯える人質に向かって至近距離からゆっくりと1発ずつ威嚇射撃を行う。
タンッ、タンッ。
乾いた音が、静かに語られる要求の言葉に割り込む。
人質が静かに嗚咽を漏らし始め、ヨダレや鼻水や小便を垂らし始める。もしかすると、指を1本ずつ撃つか切り落とすかくらいはするかもしれない。
ゆっくりとゆっくりと、死の臭いが映像に込められていく…


人質が解放後に会見やTVで話した内容を聞いて、自分の想像もあながち的外れでもなかったな、と思った。

物語

ともかく、イスラム側全体としたら、この事件はある一定の成果を上げた、とは言えないだろうか?

「ごめんね。うちの若いもんが先走っちゃってさあ。今やめさせるから。俺らはさあ、向かってくるやつには牙を向くけど、そうでない相手には友好的なんだよ。ほんとは。」
そうやって偉い人が顔を出すことによって、イスラム側は日本側との距離を少し縮めることに成功した。
このように考えたらおかしいだろうか。


(ちなみにネット上では、「人道的だ」「感謝しよう」と言い出す人もいた。
向かってくる相手には牙を向くのだから、人道的という言葉は当たってない。
感謝するのは悪いことではないが、過度に感謝する必要もない。彼らは彼らの利害に基づいて行動しただけだからだ。感謝するならば同時に、日本に少なくとも敵に回したくはないだけの国力があることを誇ってもいいかもしれない。)


物語は非常に複雑に進行しているし、実際に何があったのかよくわからないので、これ以上何も書けない。
しかし、アメリカ政府もイスラム政府も日本政府も、それから個々の日本人もテロリストも、それぞれが出来事を無意識のうちに物語としてとらえ、またそれぞれが自分が信じている物語をアピールする形で出来事を起こす、という形で全体としての物語が進行しているのは間違いないだろう。
この視点を見逃すと、自分の住む世界で何が起こっているかを把握することは全くできなくなってしまうし、これから何が起こってくる可能性があるかを予測することもできない。