●進化を譲り合いという観点から見る。●

建築の話がまだまとまっていないので明日に先延ばしして、今日は少し違う話。



私は以前、某有名経営コンサルタント*1と何度かメール交換をして、オフィスに招かれてお話したりしたことがあった。
彼が、ちょっと仕事をお休みする、と報告をくれた時、私はメールで進化の話をした。



ダーウィンの流れを汲む進化論では、「適者生存」というのを基本にしている。まあ「適者生存」そのものが間違っているわけではないだろうが、「戦って勝った者が生き残る」という考え方は明らかに間違っていると私は思う。さらに、この考え方を経済・経営の分野に持ち込んで、生き残りとか勝ち組とかいう言葉を使うのは、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。


かつて地球上は、恐竜という巨大爬虫類の天下だった。そのころ哺乳類はと言うと、ねずみ程度の大きさでしかなかった。哺乳類が大きな顔をしてのさばるようになったのは、恐竜絶滅後の話だ(と私は思っているのだが、間違ってないよね?)。

さて、私たち哺乳類は、恐竜と戦って勝ったと考えていいのか?


私はそうは思わない。
恐竜が絶滅してくれたおかげで、私たち哺乳類は大きな顔をしていられるのだ。私はそう思う。

自然を支配する法則は「勝ち残り」じゃない。「役目を終えて、エコロジカル・ニッチをより環境にマッチした存在に譲る」ことなのだ。


だいたい「環境による自然淘汰」なんて言うけど、大規模な気候変化なんかの場合を除けば、「環境」って自分も参加してつくってんだかんね*2。絶対的なジャッジが裁定を下すわけじゃない。


そこを勘違いして「生き残り」なんていうケツの穴のちっさいことをやってると、本当は後進に空けてあげるべき席にいつまでも座り続けることになる。そうすると環境全体がどんどん悪化して、絶滅のなだれが起きてしまいかねない。もちろん、自分の首もますます絞まることになる。


おお、これはバブル後の日本経済そのものじゃないか。
退出させるべき企業に(国家も銀行も)資金をつぎ込んで退出させないでおいたために、新陳代謝がうまく行われなかった。その結果、新しく出てくるはずの事業が足を引っ張られてなかなか芽を出せずに、経済全体がどんどん低迷した。違う? これだけじゃないだろうけど、こういうメカニズムはあっただろうと私は思う。
(このくだりは、コメント欄参照のこと。id:svnseedsさん、ご指摘ありがとうございます。)



さてさて、そのコンサルタントの方は、一通り儲け終わった、という段階にいた(決して業績が悪化したということではなくて)。つまり、1つ目の役目を終えていた。
彼へのメールの最後は確かこんな感じだった。

あなた(=恐竜)が席を空けることは、あなたの周りの人(=哺乳類)が育つのを促進することになるでしょう。なんか、そういうのをすらっとやれちゃう経営者ってすごいなあと思います。今は十分休養なさってください。きっと周りの人が育ってきたタイミングで、その人たちと一緒にまた新しいおもしろいことを始められるんでしょうね。一体何をなさるのか、今から楽しみです。

彼からは後にお礼のメールが届いた。
いさぎよく椅子を明け渡した人には、次の椅子がきっと待っているんだろうな。



カウフマンを読んだ今、「適者生存」とは勝ち残りではなくて譲り合いだ、という考えはますます強くなっている。
わかんねえ奴にはわかんねえだろうな。
嘘だと思うなら、カウフマン著『自己組織化と進化の論理』(ISBN:4532147697)を読んでください。


(終)

*1:あんまり人と会わないのでも有名。

*2:注:「参加」という言葉はまずかったか。当たり前だけど、「環境」に「自分」は含まれない。ただし、「環境」と「自分」の間には相互作用があるわけで、「自分」は「環境」に変化を与えることもできる。間接的な意味での「参加」ということ。(5月27日追記)