ありがたくないコメント


1.ちゃぶ台返し


『よそんちの客間にあがりこんで、チャブ台をひっくり返すな!』(id:sujaku:20040607#p3)



2.書いている途中での、話の腰を折るようなコメント


文章がまだ完結していない場合、私は(つづく)と書いています。そういうときに話の腰を折られると、それまで考えていた文章全体の構成が失われてしまい、後が書けなくなってしまいます。
ちょっとずつアップするのがいけないのかもしれませんが、書き手としては少しずつ達成感を味わいながら書き進めたいときもあるのです。


id:Bonvoyage:20040605でのid:thiさんのコメントがそうです。

こういうのは、コメントをくださる方に悪意がない場合が多いために*1、文句も言えず、書きたいこともうまく書けなくなってしまい、フラストレーションがたまります。他の読者の方も、読んでいて消化不良を覚えることでしょう。
できればこの手の横槍は勘弁してもらいたい、というのが本音です。


また、id:thiさんのコメントには、「システムってそんなもんでしょう」とありますが、これは「日常へのシステム・アプローチ」と題する当ブログへの、まさにちゃぶ台返しです。
「システム」という言葉には様々な定義があるので、きちんと定義しなかった私も私ですが、「システム・アプローチ」というときの「システム」は、1つしか意味がありません。これに関しては、明日あらためて書きます(id:Bonvoyage:20040610)。



3.私・コメントしてくれた方の経験や経験から学んだことそのものへの冒涜


私の経験や経験から学んだこと、感性への冒涜をされると、私はひどく傷つきます。もうブログなんてやめようという気になります。自分のような感性を持つ人は、他人と一緒に生きられないのだ、という気になる時もあります。

「その経験を、こっちから見たらどう? 違う学びが得られるんじゃない?」というようなコメントは、基本的に歓迎します。


私ではなくコメントをくださった方へも、同様の心遣いがあると良いと思います。



4.反射的に書かれた批判・非難、文脈を捉えそこなった批判


上に書いたように、私の文章は頭を回転させなければ読めません。読んでいる人が、「むむっ」と引っかかるようなスタイルです。ぱっぱっと読んで全部意味がわかってしまうような書き方はしていません。

これが災いしてか、この半月ほど、読み違い・見当違いの批判をいくつか受け、かなり疲弊しました。


反論したくなったときは何度か読み返していただけるといいと思います。文意を捉えそこなった批判は不毛だし、恥をかくだけですから。



5.批判・非難の相手が私でないのに、相手が私であるように見える批判・非難。


ブログは、誰かが書いた文章があちらこちらに飛び火して展開するという特徴を持っています。私が書いた文章を、私以外の人が展開していくということもあります。

そういうときに、批判的意見を述べられたいのであれば、その批判が私自身へののなのか、私の意見を読んだ他の人にへのものなのか、それとも私の文章を読んで思わず納得してしまった読者への警告なのか、その辺をはっきりさせてもらわないと、私としては困り果ててしまいます。



6.アイデア・話題そのものを押さえつけるようなコメント


ありがたいコメントの4にも書きましたが。


私は実行前のアイデアを書くこともあります。「まずお前がやってから言え」というのはごもっともなご意見ですが、その手のコメントによって創造性を押さえ込んでしまうなんて、それこそバカらしいことではないでしょうか。


まだ実践の段階に至っていないアイデアも、他人の目に付くところに書いておくことによってブラッシュアップされれば、実践に耐えるものになる可能性があります。
イデアをつぶすのは簡単で、バカでもできます。しかし、「もしそのアイデアを実践可能なものにするのであれば…」「そのアイデアを実践するに当たって考えられる障害は…」と考えていく習慣こそが大事だと思っています。

他人のアイデアをつぶすという行為は、「だれが次に賢そうなこというかゴッコ」(by id:flapjackさん at id:sujaku:20040608#c)の一環なのでしょう。私はそんなことには興味がありませんし、いかにも物知り顔で難しい言葉を使って他人のアイデアをつぶす人を「賢い人だなあ」と思ったりもしませんし、このブログは「だれが次に賢そうなこというかゴッコ」の場でもありません。

こういう人はしばしば、そもそもありもしない対立を生み出してまで「バトル(もどき)」に持ち込み、相手を打ち負かそうとします。私は、そういう非生産的な話の進め方を好きではありません。
私は、できるだけ決定的な対立をしないように物事を思うように進めていける人を尊敬するし、自分もできるだけそのようにありたいと思っています。


「だれが次に賢そうなこというかゴッコ」をしたい人は、ここではなく、それをやっているサイト・ブログに行かれたらどうでしょうか*2。そういうサイト・ブログは吐いて捨てるほどあります。



8.私や私のサイトに訪れる人にわからない言葉を使ったコメント


「だれが次に賢そうなこというかゴッコ」とも関係があるのかもしれませんが、難しい言葉を使うのが好きな人がいます。「どうだ、俺はこんな難しいことも知ってるんだぜ」と言わんばかりです。私はそのようなアピール法が好きではありません。


当ブログは、難しい言葉をなるべく使わない、という方針で進めています。私は、難しいことも簡単な言葉で語れる人を尊敬するし、自分もできるだけそのようにありたいと思っているからです。

コメントは、最大でも私が使っている言葉程度の難しさで、してくださるとうれしいです。また特殊な用語はそれを調べられるようにリンク先を書いていただけるといいと思います。



9.関係ないところで溜めたフラストレーションを爆発させるようなコメント。


爆発させるより、単純に相談、または問題提起してくれればいいのになあと思います。そういう日常の不満に対してシステム・アプローチを試みて解決法を探るのが、このサイトの主旨でもあるわけですから。

私はフラストレーションを「酒飲んで文句ぶちまけてスッキリしたらお仕舞い」という非生産的な方法で解決することが好きではありません*3。個人個人が感じるフラストレーションをもとにもう一度世界のシステムを見直し、世界がもっとうまく機能するような方法を考えてみたい。私はそう思っています。



10.あまりにも詳細な批判


id:kmiuraさんのお言葉を拝借。
「あらかじめ言っておくが、この手の話をかくと、あちらこちらから詳細な点の批判がありそうである。その方法ではこんなエラーが、とか。そうした詳細の批判に対しては私は応答しない。日本における議論が無限後退するのは詳細の批判で終始してなにもうみださないことが理由だ。結局ガイアツ待望、とあいなる。これでいつも私は参る。」(id:kmiura:20040606)

*1:id;thiさんは自ら悪人とおっしゃっているからわざとなのかも(笑)

*2:そういうところに行ったら勝てないからここに来てるのかな?

*3:それができるなら、とっくにどこかで会社勤めでもしてるでしょう。