●「日常へのシステム・アプローチ」とは?●
私はこのブログに「日常へのシステム・アプローチ」というタイトルをつけました。
「システム・アプローチ」というのは、「システム理論を用いて物事を考え、取り組む」という意味です。…これだけではわからないですよね。
私は、id:Bonvoyage:20040506でシステム理論について簡単に紹介しました。
フラーは著書の中で、一般システム理論について述べている。
「システム」は、「交互作用する要素の複合体」とでも定義すればいいだろうか。
日本語にすると「系」という言葉になる。「生態系」というのも、それぞれの要素(=生物)が交互作用しながら全体として振舞っているシステムである。「生物」も、分子が交互作用しながら全体として振舞っているシステムである。
私たちの「社会」も、人が交互作用しながら全体として振舞っているシステムと言える。
ありとあらゆるものをシステムと見なして考えることができ、考えられる最大のシステムのことを、私たちは「宇宙」と呼んでいる。
システムは単なる寄せ集めとは違って、「交互作用する」というところがミソである。
単なる分子の集合体を、私たちは生物とは呼ばない。それはただの物体である。生物と非生物を分けているのは、まさにこの交互作用の仕方なのである。
この交互作用のことを、フラーはシナジー(相乗効果)と言っている。
シナジーのことを考えるのは、システムを扱う上で大変重要だ。
システムにおいては、ある一部分を取り上げて個別に最適化すると、システム全体に振る舞いが悪化する場合がある。それは、ある部分と他の部分にシナジー(相乗効果)があるからである。
だから、まずシステム全体の振る舞いを最適化することを最初に考えなければならない。
個別の要素の変化や進歩があった場合には、システム全体がうまく機能するように調整をしなければいけない*1。
シナジーを考慮し、一般システム理論を用いれば、人間のもつ知的能力をもっと有効に使うことができるとフラーは語った。
それで、システム理論を用いて知的能力をもっと有効活用しようというのが、システム・アプローチなわけです。
もっと簡単に説明しましょう。例えば…
- 「ぱっと見ただけでは気づかないけど、こんなところに因果関係があったとすると、どうだろう?」
- 「あっちの出来事とこっちの出来事は、どうつながってるんだろう?」
- 「大局的な(マクロの)動きと、今ここで起こっている小さな(ミクロの)動きが、もし関係しているとしたら、どんな関係なんだろう?」
- 「村上龍が今『13歳のハローワーク』を出したというのには、彼自身の活動全体の中でどのような意味を持っているのか? “この本で一番伝えたかったこと”ではなく、“この本を出すことで一番伝えたかったこと”は何か?」*2
というように、システム・アプローチは、ある物事とある物事の関係性・連動性に注目したり、「もし関係があるとすると…」と仮定したりすることで物事をより深く理解しようとする手法です。また、
- 「関係性・連動性を活かしながら物事に取り組むにはどうしたらいいか?」
- 「望ましい結果にたどり着くために、どのような行動を、どう組み合わせればいいか?」
- 「全体としてうまくいくようにするためには、どのように部分部分を選び、組み合わせていったらいいか?」
というようなプランニングやデザインの手法でもあります。
昨日(id:Bonvoyage:20040610)のコメント欄にはid:sujakuさんがこのようなことをおっしゃってくれています(コメントありがとうございます!)。
# sujaku 『藤幡正樹がむかし言ってたこと。日本からサンフランシスコへたった1回飛行機が飛ぶだけで、四国の人が吸う酸素の1年分が消費される。(だったかな? 詳細忘却。細部にはつっこまないように。)そういうアプローチをもったときから、がぜんエコロジーに関心をもつようになった。●見えないモノを可視化すること。おもいがけない要素同士のあいだに、ゼローサム関係があること。●そういう領域に、ぼくはシステム論の可能性をひときわかんじます。 この話は、ぜひぜひ、Bonvoyage につたえとかなくちゃ、と、おもって。』
飛行機の話の真意はともかくとして、おっしゃるとおり、このような「見えないモノを可視化すること。おもいがけない要素同士のあいだに、ゼローサム関係があること。」(関係はゼロサムに限らないと思いますが)というところにこそ、「システム論の可能性」があると、私も思っています。
私たちが日常的に直面する課題の多くは、それほど単純なものではありません。簡単には目に見えてこない因果関係がたくさんあります。1つの出来事が複数の結果の原因となり(1つの原因に対して複数の結果)、また、どうやって1つの結果が出たのかを探っていくと、いつも複数の原因が見つかる(1つの結果に対して複数の原因)。
このような複数の因果関係からなる複雑なプロセスの結果として、いや、この複雑なプロセスそのものが、私たちの住む世界、私たちの日常ではないでしょうか。
今まで書いてきた私自身の経験、大学での教官との衝突や交通事故の話も、そういうものの原因を個人個人、または単純な二者関係に押し込めてしまうのは簡単です*3。知的負荷がいらない。
でもそこで枠を広げて、もっとたくさんのファクターが複雑に絡み合った大きなシステムを眺めつつ、全体のシナリオが進んでいく中の一部として衝突なり事故なりが起こったのだ、と考えてみると、あらためて見えてくるものがあるわけです。
id:Bonvoyage:20040511では、こう書きました。
■ ミクロとマクロを循環する因果関係
ミクロのあり様とミクロとミクロの関係性からマクロのあり様が創発してくるが、そのマクロのあり様はミクロのあり様やミクロとミクロの関係性に大きく影響を与える。
このような循環する因果関係を見ようとするのがシステム・アプローチの基礎の1つである。
個人のあり様と個人と個人の関係性から組織(社会や会社など)全体のあり様が創発してくるが、その組織全体のあり様は個人のあり様や個人と個人の関係性に大きく影響を与える。
8日(id:Bonvoyage:20040508)に書いたのも、そういうことを言いたかったのだった。
(後略)
こういった、ミクロとマクロを循環する因果関係があり、その中の一現象として、大学での教官との衝突や交通事故が起こったのだ、というふうに考えてみるわけです。
大学での教官との衝突を、二者関係から研究室、研究者社会、あるいは経済全体へと視点を広げてみる。交通事故を、加害者−被害者の二者関係から、「都市システムはうまく機能しているか?」というように視点を広げてみる。そうすると、見えるものがちょっと違ってきますよね。
そして、そういう中から、システムの振る舞いの一般的なパターンを見つけることができれば、今後どのようにして関係性・連動性を活かしながら物事に取り組めばいいか、ということもまた、見えてくるような気もします。
私はもう一度、自分の日常をシステム的な目線で見直してみたい。読者の方にもこれをきっかけに、それぞれの日常をシステム的に見直してみてもらえたら素晴らしい。
そんな思いを込めて、「日常へのシステム・アプローチ」というタイトルにしました。
超重要事項! <読者の方へ>
「システム」という言葉には様々な用法があります*4。また、場合によっては党派性やイデオロギー性と関連したものとして解釈され、語られることもあるかもしれません(例えば、id:Bonvoyage:20040605でのid:thiさんの発言のように→*5)。
しかし当ブログでは基本的に、「システム」を「交互作用する要素の複合体」という意味でしか用いません。それ以外の使い方をする場合には断りを入れますが、断りがない場合はこの意味で用いています。
(ここまで、翌12日に大幅な加筆・修正)
(13日に再修正)
*1:宇宙や生態系は、まさにこのようにして常に全体を最適化しながら進化しているようだ。前に書いたカウフマンもそういうことを言っている。
*2:意外と気づいていない人も多いような気がするんだけど。コメント・メールでリクエストがあれば書きます。
*3:「誰々がいけなかったんだ」「相性が悪かったんだ」など。
*4:企業ではよく「システム化」と言う言葉が出てくるでしょうが、これは私が用いている「システム」とはちょっと意味が違います。その他の意味は、キーワードを参照してください。
*5:「システムは対象を一般化します。一般化から大きく外れた人にとってはシステムとは面白いものじゃないでしょう。ところで、システムの定義ってなんでしょう?多数決はマイノリティーを消滅させますね。システムってそんなもんでしょう。」