9・11、それから交通事故にあって以来、感じ考えていること。


私たちの社会は、車を一つの軸として成り立っていて、私たちは多分にその恩恵をうけている。しかし一方では、人をひき殺したり逆にひき殺されたり、あるいは排気ガスによって花粉症が悪化したり*1するリスクを背負っている。

もし選択の自由があってそのリスクを望んで背負ったわけでなくとも、車社会の恩恵にあずかっている以上、望んで背負ったものと“外的に判断されてもしかたない”。


私たちの社会は、石油を一つの軸として成り立っていて、私たちは多分にその恩恵をうけている。そのことと、この数十年間中東地域に火種が撒かれ続け、今もたくさんの人が死んでいることは、まったく関係がないわけではないだろう*2。私たちは、9・11のような形で自分や自分の身近な人が死ぬリスクを背負っている。

もし選択の自由があってそのリスクを望んで背負ったわけでなくとも、石油社会の恩恵にあずかっている以上、望んで背負ったものと“外的に判断されてもしかたない”。

*1:私はスギ花粉にアレルギーがあるが、スギ林に行っても悪化せず、むしろ車の排気ガスの濃度に従って悪化する。「花粉症」というネーミングは、明らかに本質を欠いている、と私は思う。

*2:実際、私たちがなんと思ってようと、または何が正しかろうと関係ない。テロリストによって“外的に判断されてもしかたない”のであれば、テロが起こりうる。