2種類のモテかた


さて、モテかたには大きく言って2種類あると私は思う。それを仮に「新庄型モテ」と「イチロー型モテ」と名づけることにしよう(何ら批判の意志はない)*1


新庄型モテを主に構成するミクロな二者関係は、矢印で表すと「→←」で示される。
これはトレードを意味している。すなわち、「あなたが私を愛してくれるならば、私もあなたを愛する」ということをお互いにやっている関係なのである。

この場合、レバレッジが利かない。なぜならば、私があなたを愛することをやめたならば、あなたは私を愛することをやめてしまうからだ。
新庄の場合はマスメディアというレバレッジを利用しているからファンも多いが、そうでない一般の人がこの方法を用いても、モテの構造を作ることは難しい。


対して、イチロー型モテを主に構成するミクロな二者関係は、「↑←」で示される。
イチローは、子供のような純粋な好奇心で野球に対して正面から取り組んでいる。求道者と言っても差し支えないほどのそのあり方に対して、ファンは心惹かれる。そこにトレードという考え方はない。

この場合にはレバレッジが利く。ファンは、イチローが自分のことなど気にしていなくてもかまわないのであるから、ファンがいくら増えようともイチロー自身の負担はそんなに増えることはない。
イチローはきちんとそのことがわかっていて、真正面に野球を見据えつつ、視界の端っこのほうでは、ちゃんとファンのことを見ているよ、という態度を常に維持している。賢い。


もちろん、新庄もイチローも、両方のモテかたを適宜用いながらモテていることは言うまでもない。しかし、新庄ファンとイチローファンでは明らかに性質が違う、ということは想像に難くないだろう。


私は、この構造自体は恋愛においても適用できると私は考えている。
モテたければ「↑←」の構造を作ることだ。そうすればレバレッジが利く。ある段階からは「モテるがゆえにモテる」というポジティブ・フィードバック状態に入っていく。
「モテたくないのにモテる」のをどうにかしたい、という話の場合、これはまさに望まずして「↑←」の形ができているということだと私は思うのだが、なんとかしてこの「↑←」の関係を崩してしまうことだと思う。しかし、それはイチローに対して「モテたくなければ野球をやめろ」と言うのに等しいかもしれない。仕事ができる人はどうしてもモテちゃうだろうし。困ったね。


最後に、顔がいいからモテる、という種類の話に関しては全然興味がないので、削らせてもらった。俺は顔が悪いからモテないんだ、という考えは「頭のなかの情報の汚染」でしかなく、そう考える人は永久にモテない。もしモテたければ、己の持てるモテる要素を探して磨くのみ、だ。

*1:その他もあるだろうが少数派は省略。もし何かあったらコメントください。