判断や行動とシステム・アプローチ


上に書いたように、アインシュタインは「自分の頭で考えたり判断したりする一般的な能力を発達させることが、いつでも第一に優先されるべき」と言っている。私は、一般的な思考・判断能力を身に付ける上で、システム理論、システム・アプローチを学ぶのは有意義だと思う。


もう一度システムの定義を確認する。

複数の要素が互いに関係性・連動性を持っている集合をシステムと呼ぶ。システム全体の振舞い方は個々の要素の振る舞いの単純な足し算で書き表すことができず、要素間の関係性・連動性を加味しなければならない。


システムでは、ある1つの要素と他の要素が連動することによって、互いに機能を高めあったり、逆に打ち消しあったりして、それによってシステム全体の機能が決まってくる。だから、目に見えにくい関係性や連動性を見逃したままで判断・行動すると、システム内のある一部分に関しては最高のできになっても、システム全体としては全然ダメってことがよくある。


野球でも、ピッチャーが調子悪いときに「手投げ」になってるね、と言ったりする。それは体全体がうまく連動して動いてない状態、手だけで投げちゃっている状態のことを言う。手や腕を個別に見ると「手・腕だけで投げるとするならば、最も効率的な使い方」になっていたとしても、それは「体全体で投げるとしたときの、手や腕の最も効率的な使い方」とは全然違ってきてしまう。
言うまでもないけれども、体全体で投げたほうが体重が乗って威力のあるボールになる。だからまず、体全体で投げる、ということを前提にして、それから手・腕・頭部・上半身・腰・脚・足の使い方を決めていくようにする。そうすると体全体の連動性が向上して、いいボールが投げられるようになる。身体をシステマティックに使うとは、そういうことだ。


何かの判断や行動や設計に際して、全体が最適化することを前提として、関係性・連動性を加味しながら個々の要素のあり方を決めていく手法が、システム・アプローチだ。


『金持ち父さん』シリーズで有名なロバート・キヨサキは、ローンを組んで持ち家を買うのは貧乏の始まりで、持ち家が資産だなんて嘘っぱちだ、というようなことを言っている。

常識的には、持ち家を持つのはよいことだとされている。確かに、自分たちの家族構成や好みに合った家に住むことは悪いことではない。しかし、住まいというのは生活の一要素でしかないことも忘れてはいけない。家を買うということは、生活の一部最適化でしかない。生活全体を見渡して、衣・食・仕事・教育・外部との関わりといったような他の要素との関係性をよく見て、全体最適化の観点から家を買うかどうかという判断をしないと、大きな買い物なだけに大失敗する。

  • 家は買ったが、他に回せる資金が尽きて、全体としては貧乏じみた生活になってしまった。
  • 家を買ったために遠くから職場や学校に通うようになった。
  • 仕事をしている中で、もうどうにもならない、辞めるしかない、というケースも出てくるだろうが、ローンがあるために辞められない。
  • 家を買ったために、その土地から離れる自由を失った。
  • ローン返済のプレッシャーのために、家庭内の雰囲気が悪化した。

どれもまあ、よくある話だ。



暗い話ばかりしていないで、明るい話題もしようか。
私が大好きな本『自然資本の経済』(ISBN:4532148715)から引用する*1

ほとんどの工場やある程度大きな建物はたいてい、休みなく働く巨大なポンプでいっぱいである。工業用ポンプでは、モーターのエネルギーの大部分が摩擦熱として浪費されている。しかし個々のポンプだけを考えることから一旦離れて、そのポンプが組み込まれている給排水システム全体を見渡すことにより、摩擦をほぼ完全になくして、なおかつ利益を生み出すことができる。
(中略)
新しい仕様には二つの設計変更があった。まずシルハム*2は、当初の計画にあった細いパイプを太いパイプに、大型ポンプを小型ポンプに替えた。摩擦はパイプの直径の約五分の一乗に比例する*3ので、パイプの太さを一・五倍にすれば摩擦は八六%減る。そうすればポンプのエネルギーが少なくてすむため、より小型のポンプとモーターで摩擦に対応できるからだ。
(中略)
次にシルハムは、据え付け作業を通常の逆の順番で行った。まずパイプの配置を決めてから、ポンプを据え付けるようにしたのだ。普通はまず、手近な場所に適当ポンプを配置し、配管工がそれをパイプでつないでいく。離れた場所にある設備をつなぐためにパイプを複雑にねじ曲げ、くねらせ、不自然な方角に向け、不自然な高さに取り付け、別の装置を迂回したりする。こうした余計な屈曲のせいで配管距離は長くなり、摩擦が本来の三〜六倍に増える。
(中略)
しかし、ポンプを据え付ける前にパイプを配置することで、パイプの屈曲をかなり減らし、配管距離を短くすることができた。その結果、摩擦は少なくなり、ポンプ、モーター、インバーター、電気部品に至るまですべてを小さくて価格の安いものに取り替えることができた。
パイプを太くし、配置をすっきりさせたことで、資本コストの総額が下がり、ポンプのエネルギーが九十二%減っただけでなく、設備建設が簡単になり、工期を短縮することができた。パイプが占める床面積も減り、操作の信頼性も高くなり、メンテナンスも容易になり、設備の性能もよくなった。さらにパイプの屈曲を減らしたことで断熱工事が容易となり、約一ポンドの石炭を二分ごとに燃焼させるのに相当する七十キロワット分の熱損失が減ったため、三ヶ月で減価償却できたという思わぬ収穫もあった。
(中略)
こうしたシステム全体のライフサイクルを視野に入れて費用を考え、長期的な観点からすべての利益を考慮するやり方は、理論においてこそ広範に普及しているが、実践となるとまず無視されるのが常である。各構成要素を全体から切り離して検討するというのが現状である。建物を無視して窓を設計し、部屋を無視して照明を決める。機械のことを考えずにモーターを検討する。これでは、魚を無視してペリカンを作るようなものだ。「システムの構成要素のみを個別に最適化すると、システム全体は最悪化する傾向があり」、収益の低下につながる。実際に各構成要素を個々に効率化したにもかかわらず、全体の効率がかえって悪くなった例もある。システムの構成要素が互いに調和して、全体がうまく機能するように設計しなければ、相互に悪い作用を及ぼしあうからである。


おお、これはすごい。
「三ヶ月で減価償却できた」ということは、四ヶ月目以降は丸儲けということだ。これはROI=400%の投資に対応する。100万円投資したら、1年で400万円になって返ってくるということだ。しかもほとんどノーリスクじゃないか。
逆に言うと、ほとんどの企業には、この種の無駄が目に見えないところにたくさん眠っている。この無駄は最終的には、無理なノルマ、給料引き下げ、解雇といった形で、従業員にしわ寄せされるのであろう。サラリーマンってかわいそ。



もちろん、こういったシステム・アプローチは個人の目標達成に関しても有効だ。
「システムの構成要素のみを個別に最適化すると、システム全体は最悪化する傾向がある」わけだから、ただがむしゃらにやったってダメだ。個々の行動が互いに調和して、全体として目標が達成されるように工夫しながら取り組めば、最小限の努力で最大限の効果を得ることができる。
それはまさに、アインシュタインにとっての物理学と音楽の関係であろう。


しかしながら、こっちでやったことと、あっちでやったことがどのように連動しているか、あるいはどのように連動させればいいのか、ということは、感性や想像力の欠如した人にはわからないんだよね。うーん。そういう人に対して私がかけられる言葉はこれしかない。
「考えるんじゃない、感じるんだ!」


(終)

*1:もしあなたがシステム理論、システム・アプローチに興味を持っているならば、この本を買って損することはない。断言できる。

*2:効率化のエキスパートである機械設計技術者と紹介されている。

*3:ミスプリか? これだとパイプが太くなるほど摩擦も大きくなることになってしまう。それは直感的にもおかしい。それに、パイプ内側の直径が32倍になってはじめて摩擦が2倍になるという、ほとんど無視できる話になる。「五分の一乗」ではなく「五乗分の一」だと、下の数値とつじつまが合うのだが、本当にそんなに激しく変わるものなのだろうか? もし詳しい方がいらっしゃったら教えてください。