閉塞感をブチ抜くためのネゴシエート
ここで、昨日コメントをくださったid:kmiuraさんに対する私の意見を述べておきたい*1。
彼の論旨は、「人事空間が閉塞的」で「流動性のない状況」であることこそ批判すべきこと、ということだった。
彼の状況把握に、私は全面的に同意する。
だからこそ私は、教官に対して厳しい批判を投げかけた後に後悔した。批判を向けるべき相手は彼ではなかったんだ、と覚ったのだ。それに、「決裂が決定的であれば異動すればよい」*2と思ってやっていたら、いつの間にか私は1日のほとんどを自宅で過ごすようになったわけだし。
私が付け加えたいのが、一つだけある。それは、最初から批判するのではなくて、ネゴシエートしなければ物事は進まない、ということだ。
今日の冒頭に書いたように、ネゴシエートがある程度進んだ時点でないと、「本当の批判に基づく話し合いが可能に」ならない。
批判・交渉の相手は誰か?
それは、システムをコントロールする権限を持っている人(人たち)だ。そういう人たちに、同じ土俵に乗ってきてもらわなければ、とにかく話が進まない。
現在システムをコントロールする権限を持っている人は、それによってベネフィットを得ている。それに加え、システムを作った人と同一か、つながっていることが多い。だから、権限を持っている人に対して今のシステムを批判したならば、その人は決していい気持ちはしないだろう。それに、こういうときの批判は、しばしば「権限を手放せ」とセットで使われるのだから、なおさらだ。
批判されることや権限を脅かされることを前もってわかっている状況でも、あえて同じ土俵に乗ってこようとするのは、よほどの胆力の持ち主か、バカだ。
そんなわけで、「批判したいのではなくて、お互いにもっとハッピーになるために交渉したいんだ」というところから入らなければ賢くないと、私は思う。
だからと言って、「お互いにもっとハッピーになるために交渉したいんですけど」とか言うと、「何だてめえ、文句でもあるっつうのか?」とは言わないまでも、相手も身構えてしまう。当たり前か。
では、一体どうすればいいのか。
システム的な問題に対して、一個人は無力でしかないというのか?
(明日へつづく)