●善意+善意=悪意?●

今まで書いてきたように僕は、大学であれこれあったし、交通事故に遭って後遺症に苦しんだりもした。それから、優秀なビジネスパーソンにも会ったりした。また、9・11以後の世界を見て来もした。
その流れの中でずっと考えていることがある。


それは、世の中の人を個別に見ると悪人なんてほっとんどいなくて、むしろ善人ばかりなのに、どうして社会システムは、僕(または個人)に対して、あたかも悪意を持ったもののように対峙してくるのか、ということだ。


大学の教官も悪気があったわけじゃない。彼自身が苦しんでいる中で、自分が選べると思ってる選択肢の中から一番いいのをチョイスしただけだ。僕は一時期、彼をひどく批判し非難したが、今は恨んだりなんかしていない。
僕に追突した人も悪気があったわけじゃない。ついうっかり集中力を欠いてしまって、それが偶然僕にぶつかるタイミングだったというだけだ。私は彼を恨んだりなんかしていない。いつ立場が変わってもおかしくない。
優秀なビジネスパーソンの彼らはがばがば儲けているけど、あくどいやり方なんて全然していない。むしろ、どうやって人を喜ばせるかとか、人の生活を豊かにする商材がどこにあるかとか、そういうことばっかり考えている人だ。よくよく考えてみたら当たり前だ。だってそうじゃないと、商売成り立たないもの。商品を買ってもらえないんだから。
ブッシュだって小泉純一郎だって、多少意固地で頭が悪いってところはあるけれども、悪人には見えない。ビン・ラディンを見たときは、むしろ実際に会ったらおもしろい奴だろうな、と思ってしまったくらいだ*1



それなのになぜ、社会システムは、僕(または個人)に対して、あたかも悪意を持ったもののように対峙してくるんだろう? 彼は(と擬人化してしまうが)、僕の目標を奪い、健康も奪った。



そんなことを考えていた折、僕はフラーに出会い、システム理論に出会った。


フラーはシナジー(相乗効果)という言葉で僕に説明した。

マクロの振る舞いを考えるときは、ミクロの振る舞いの単なる集合(代数和)ではなくて、ミクロとミクロのシナジーも含めて思考せねばならない。
それで、そういうマクロをシステムと呼ぶ、ということは以前言ったと思う。


端的に結論を言おう。
社会システム内部の人間がいかに善意にもとづいて行動しようとも、シナジーの起こり方によっては、社会システム全体が悪意を持ったもののように振舞ったって、何の不思議もない*2

そして、こういうことも言える。そういうときは、人を批判・非難しても何も始まらない。改善すべきは関係性だと。


(つづく)

*1:フセインのことはよく知らない。それにヒトラーにしたって、絶対的な悪人でなかったからこそ、あれだけのことを成し得てしまったのではないか? それともヒトラーがあれだけ力を持ったのは、ドイツ人がみんな悪者だったからだ、って言うのか? そんなことを私は信じられないし、また、騙されただけだとも思わない。日本に原爆を落としたB−29のパイロットだって、その後ノイローゼになったって言うんだぜ? 彼がノイローゼになれたのは、彼が善意を持った人だったからじゃないのか?

*2:逆に「毒をもって毒を制す」ということもある。