メルマガ配信開始決定。
ブログ更新をお知らせするメルマガを配信することにしました。
今後も更新がちょっと途切れることがあるかもしれないし、そういうときに、せっかくご縁があった読者さんに忘れられてお別れしてしまうのもお互いに残念なことじゃないかな、と思うので。それから、自分がやりたいと思っていることの中にはブログよりメルマガのほうがやりやすいこともあるんですよね。「ちょっとブログじゃ書けないよなあ」的なキワドイ話題も扱えそうだし。
当面は更新のお知らせと、オマケにボツネタや裏話などを載せていく予定ですが、状況次第では将来的にいろいろとコンテンツを充実させることも考えてます。まったくの未知数なので楽しみ! 僕のコアな読者(なんているのかどうかわからないけど)にはたまらない内容になるかも?
メルマガのタイトルは『僕らは踊る。生存の踊りを。』ってとこかな。とりあえず。なんとなく。
僕らは踊る。生存の踊りを。 (マガジンID:0000137629)
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うーん。もう登録できるのかな? ちょっとよくわかりません。まぐまぐから発行承認のメールが来るまでちょっとかかるみたいで。登録してくださる方は、数日後に行うのが確実だと思います。
※ 登録できるようになりました!(8月8日)
以下はサンプルです。実際には毎回毎回こんなに長くはならないと思いますが、今回はボツネタも載せてあったり、今日のブログ本文に書くはずのことがところどころ混ざったりしてるので、結構長くなってます。
■□■□■□■ 僕らは踊る。生存の踊りを。 準備号 ■□■□■□■
こんにちは、Bon voyage! です。
今回の目次
・ブログ更新 2004-08-02 (Mon) ●サッカーアジア杯●
・ウラバナシ ボツネタ掲載
・編集後記
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
<ブログ更新> 2004-08-02 (Mon) ●サッカーアジア杯●
サッカーに興味がない方でも、サッカーアジア杯で、重慶での日本代表チーム及びサポーターに対する中国人観客からの限度を超えたブーイングやゴミを投げつけるなどの行為があったということをニュースか何かで知っている人は多いかもしれない。
この手のニュースに対しては、「いいネタがきたぜ!」と言わんばかりにマスメディア・個人メディアが反応を示すわけだけど、その論調は大抵が極端だったり不必要に危機感を煽るものだったりして、程度の低さにはもううんざり。「もうちっと冷静に、まともな意見を言えるやつはおらんのか!」と叫びそうになっちゃうところなんだけど、それなら自分で書いちまえ、と。ブログのおかげでこの辺はだいぶストレスが軽減されてるなあ。過激な論調に慣れてしまっている人は、かえって新鮮に感じるかも。
コチラからどうぞ→ http://d.hatena.ne.jp/Bonvoyage/20040802
<ウラバナシ> ※注 本文を読み終わった後にご覧いただくのがよいと思います。
本文にはすっかり書き忘れていたけれども、第三国の観客がどちらか一方のサポーターと化すときには、勝ってくれると自国が有利になるほうを応援するケースってのもある。例えば2002年のワールドカップの1次リーグ、ポルトガルvsポーランドでは、ポーランドが勝てば韓国は自動的に決勝トーナメント進出という状況だったから、韓国人サポーターがものすごい勢いでポーランドを応援してたのは(サッカーファンには)記憶に新しいね。
それから、書いたけどボツにした文章をオマケに掲載。
ココカラ―――
■妖精と重戦車
サッカーと政治に関して、思い出すことがもう1つある。
1999年のユーゴ空爆のときのことだ。
当時名古屋グランパスに在籍していたピクシーことストイコビッチは、遠い祖国の家族や親戚や友人のことを思って神経をすり減らしながらも、プロとしてピッチに立っていた*1。
もともと小さい顔を一層やせこけさせたピクシーは、ゴールだったかアシストだったかを決めると、赤いユニフォームをめくり上げてアンダーシャツをカメラに向けた。白いシャツには、黒マジックでこう書いてあった。
「NATO STOP STRIKES」
僕はこの映像を当時ではなく、ピクシーが引退してしばらく経ってからの彼の特集か何かで見たのだが、一方で「サッカー選手がメディアの露出の高さを利用して政治的メッセージを伝えるのっていかがなもんだろうか」と思いつつ、他方ではピクシーのやせこけた顔とそのメッセージに心を打たれた。
そして僕は、その行為の是非は「ま、当事者だし、ありにしとくか」くらいにしておいて、空爆の意味を考えて、ストイコビッチの言う「NATO STOP STRIKES」に納得してしまった。
僕は政治にも経済にも詳しくないから、どうしてNATOが旧ユーゴを空爆したのかわからない。そして、そのことが自分とどうつながっているのかもわからない。何人死んで、何人怪我したかもわからない。旧ユーゴスラビア、今のセルビア・モンテネグロがどんな国なのかもわからない。
ただ1つわかるのは、その国が素晴らしいサッカー選手を数多く生み出しているということだけだ。僕はそのことだけを手がかりに、「僕にとって」ユーゴ空爆がどんな意味を持っているのかを考えたのだった。
★
2002−2003年シーズンのリーガ・エスパニョーラを僕はよく見ていた*2。今でもたまに撮ってあるビデオを見返したりする。結果がわかってても面白いんだな。これが。
このシーズンは最終的にレアル・マドリーが優勝したのだが、終盤までトップを走っていたのはレアル・ソシエダだった。レアル・ソシエダはマドリーと熾烈な優勝争いをし、勝ち点2差で惜しくも2位に留まったが、攻撃も守備もアグレッシブで、決して有名ではなく高くもない選手がよく動き、見ていても楽しいサッカーをしていた。
特にレアル・ソシエダの2トップの破壊力は強力だった。1シーズン38試合の間に、2人でなんと43点取った。2人のコンビネーション、それからそこにボールを出す中盤の選手との絡みは、やっている1つ1つのプレイはシンプルなのに重厚で、見ていて本当に楽しかった。その年のチームとしての完成度は、もしかしたらレアル・マドリーを上回っていたかもしれない。
2トップの1人は23点(得点ランキング2位タイ)を取ったトルコ代表のニハトという選手だ。彼は小さいが足が速く、ディフェンスラインの裏側に抜け出してはゴールを決めていた。
もう1人はコバチェビッチという選手だ。20点(得点ランキング4位)取った。
彼は背が高くてごつい重戦車のようなストライカーで、中盤を作るときはポストプレイをし、ゴール前ではディフェンダーを吹き飛ばしてはヘディングを決めていた。わかっているのに止められない、みたいなフィジカルの強さがあって、彼が競り合いながら豪快にゴールを決めたときは僕はすごく興奮した。僕はこの2トップにすっかり魅了されてしまっていたわけだが、このコバチェビッチという選手がセルビア・モンテネグロの人だ(当時はまだユーゴスラビアだったかな)。
妖精と呼ばれるような華麗なテクニックを持った選手から、重戦車のような選手まで。それから、フォワード以外のポジションでも、セルビア・モンテネグロからは様々なタイプの優秀な選手が出てくる。今後もいい選手が次々出てくるだろう。もし空爆によって、これから出てくるはずの僕を魅了してくれる選手が出てこなくなってしまうとしたら、なんかもったいないことをしてる気がする。だから「NATO STOP STRIKES」という言葉に、僕はうんうんと頷く。
そういう意味では、あのユーゴ空爆は、僕にとって割と身近な出来事だったんだな。
ちなみに、ニハトという選手もピクシーとは違った理由で、やせてコンディションが落ちることがある。それも毎年。その理由は… う〜ん。これはクイズにしておこうか。
(わかった人は小躍りでもしてください(笑)。忘れなければ、そのうち、このメルマガで答えを書きます。そんなに難しくはない…と思うけど、どうだろう。ヒントを出したいけど、言ったらほとんど答えになっちゃうのしか思い浮かばないからヒントなし。)
―――ココマデ
<編集後記>
この日(8/2ね)はアップした本文とボツネタを合わせて9000字以上書いた。いやあ、自分がこんなに文章書くのを好きになるとは思いもしなかったなあ。それも読者の方がいてくれてこそ、かな。僕は基本的に目立ちたがり屋なので、人が見てくれてると思うとパワーが出てくるんだよね。ありがたい。
またサッカーの話をしちゃうんだけど、選手とサポーターってサービスの売り手と買い手ではあるけれど、買い手であるサポーターが「金払ったんだから、お前が俺を満足させろ。俺は何もしない。」とか言っちゃうと、全然面白くない。サポーターって「売り手のサービス向上に能動的に関わろうとする買い手」なんだな。もちろん、ときには厳しく味方チームにブーイングすることもあるけど、それも含めて。
面白いと思うんだよ。「大声で応援してる俺らは、お前らが提供してるサービスの価値(つまり試合の面白さ)を引き上げてるんだから、その分観戦チケットを安くしろ」なんて言う人は誰もいなくて、むしろ「敵がPKはずしたのは絶対俺らの応援が効いたんだよな。あんときの「のりお(以前仙台にいたキーパーの名前)コール」は過去最大級だったもんなあ。今日のゲームは俺らが勝たせたようなもんだよ」とか言って嬉々として酒盛りやったりしてるわけだ。
僕はこういうメンタリティが好きだ。マグロもせこいのも嫌い。
僕のブログ・メルマガも、読んで面白いと思ったら紹介してくれたりする他のブロガーさんとか、メールやコメントで応援のメッセージやアドバイスや厳しい意見や僕とちょっと違った視点をくれる方とか、そういう「書き手の向上に能動的に関わろうとする読者」がいてくれることは僕にとってすごく大きい。
あなた方は僕が面白いことを書けた日には「ときどき紹介したりしてる俺のおかげだ」とか「この前メール出した俺のおかげだ」と言って酒でも飲んでください。いや、別に飲まなくてもいいんだけど。
サッカーを見てて、選手とサポーターの関係を見てて、選手がすごくうらやましくて、「俺も俺の持ってる何かであの選手たちのようになれればなあ」とか思ったものだけど、もしかしたら、その夢は今かないつつあるのかもしれない。…なんて考えると、ちょっとわくわくする。
それでは、またブログ更新の際にお知らせします。
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(終)
「Bon voyage!」の略称案募集中。
コメント欄なんかに他の人が僕の名前を書いてくれるとき、長いだろうと思って。
今や過激じゃないことが最も過激だったりするのかも。
重慶でのブーイング(id:Bonvoyage:20040802)の後日談。
第一感としては、この問題について(特に極端な意見を)話してる人って、実際にスタジアムに行ってエキサイトしたことがないのかもしれないな、自分もちょっと羽目をはずしすぎただけで同じことやっちゃうんだってことを知らないのかな、という気がして書いたんだけど、思いがけずたくさんの人が見に来てくれたので、目立ちたがり屋の僕としては大変うれしく、満足満足。
内田樹さんのところが(不毛に)盛り上がってるので、そこからたくさん来てくれたみたい。トラバした甲斐があった。
それから、『圏外からのひとこと』のessaさんが紹介してくださった(http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20040804)ので、そこからもたくさん来た。この人は本当に要約・紹介がうまい。僕も思わず読みたくなっちゃった。僕はこの話をどうやってまとめようか四苦八苦したんだけど、essaさんの要約のほうが話の流れがスムーズ。見習おうっと(とは言え、今回の話はつっかえつっかえみたいなところもそれはそれでいい味が出てて、なかなかよく書けたような気もしてる)。
実は、この話は自分ではすごく面白いと思って書いたんだけど、他人が読んでどうかってのには少しだけ不安があった。マス・メディアもブログなんかの個人メディアも、極端で威勢よく煽るような意見が多くって。そういうのしかウケないのかなあ、とも思ったんだけど、essaさんの紹介文を読んでこれだけ来てくれたということは、きっと極端じゃない意見へのニーズも割とあるんだろうな。
もしかしたら今、「過度に悲観すべきじゃないし、過度に楽観すべきでもない。」なんていう極端じゃない意見を言う人が一番異端だったりして。変なの。
essaさんはじめリンクしてくれた方、読みに来てくれた方へ感謝。
●「コミュニケーションできません」●
表題は村上龍の『希望の国のエクソダス』に出てくる名セリフで、僕はこの言い回しがちょっと好きだ。
★
その人が言ったことを単に言い換えただけなのに、あなたの言ってることの意味がわからない、なんて突然言い出す人とは、僕は「コミュニケーションできません」。
私はものわかりが悪いから、って。なんだそれ。てめえが最初に言い出したことじゃねえか。
足元を固めながら丁寧に話を進めようとしている途中で勝手に、君が言いたいのは結局こういうことだろう、とか言って結論に先回りする人とも、僕は「コミュニケーションできません」。
違うっつーの。そんなに簡単に先回りされるような結論を言うために、わざわざ1歩ずつ話を進めたりしませんってば。
この人らは、僕が結論を話すのを聞くのがよっぽど嫌で、僕が結論までいくために1個ずつ積み上げてる足元のレンガを突き崩すのがよっぽど好きみたいだ。そうやって入念に準備しないと他人に伝わるように話せないような結論を聞きたくないのかねえ。
「とりあえず、ここまではOK?(共通の理解を持ったよね?) でさ、こっからが面白い話なんだけど…」っていうのを。
…ま、聞きたくないんだろうな。
それならそれでいいや。僕は口を閉じるだけだ。あはは(あ、開いちゃった)。
★
ある1件以来、どうにも腹が立っていられないので、書くまいと思っていたが書くことにした。大多数の関係ない読者の方には申し訳ありません。
何に腹が立つかって、それらの人たちのことを「ああ、この人は結構話が通じる人じゃないかなあ」とか勝手に期待して勝手にがっかりしてる俺自身に一番腹が立つよ。
ああもう(と言って頭をかきむしる)。
全裸で「ファッキュー!!」とか叫びながら仙台の街を走り回りたいくらい腹が立つ。
(終)
川口能活の眼
サッカーネタついでに日本代表ゴールキーパーの川口能活選手について気がついたことを書く。内田樹さんの身体運用論に通ずるところがあるから、せっかく(反応が大きいネタに)トラックバックしてるからこれも、と思って。
アジア杯の前、EURO2004の放送のゲストで出ていた川口を見たとき、僕は「ああ、ヨーロッパに行って、眼がよくなったなあ」と思った。
別に視力がよくなったとかいう話をするわけじゃないし(だいたい僕は川口の視力なんて知らない)、より男前の顔になったとか、そういう話をするわけでもない。
★
川口はEUROの放送の中で、アタッカーとキーパーの1対1のシーンを解説するときに、「ぎりぎりまでステイできる(動かないでいられる)のがいいキーパーだ」と何度も言った。確かに、相手より先に動いてしまったら即ゴールになってしまう。
アタッカーとキーパーの1対1は、内田さんが本の中で書いているような剣豪どうしの1対1の勝負みたいなもので、「時間を短く区切って使う」ということと「何かに気を捕らわれない」ことが大事になってくる。
相手のシュートコースのどこをブロックするかということを判断してから体を動かしてそのコースに入るまで1秒かかるキーパーに比べて、それを0.5秒でできるキーパーは相手アタッカーの動きを0.5秒長く見ていられるし、ディフェンダーが戻ってくるのを0.5秒長く待っていられるので、ゴールを守れる確率は上がる。
どのコースにシュートを打つか、あるいはフェイントするかを判断してから体を動かしてシュートを打ったりフェイントしたりするまで1秒かかるアタッカーに比べて、それを0.5秒でできるアタッカーは相手キーパーの動きを0.5秒長く見ていられるので、ゴールを奪える確率は上がる(レアル・マドリー、スペイン代表のラウルなんかはこういう感じのストライカーだ、とスポーツジャーナリストの金子達仁さんは言っている)。
これが「時間を短く区切って使う」ということだし、川口の言う「ぎりぎりまでステイできる」ということだ。どのくらい短い時間に区切って動けるかの勝負になる*1。
と、このように先に動いたらやられるわけだけれど、相手に動きを読まれてしまってもやっぱり同じだ。ここで「何かに気を捕らわれない」ことが重要になる。気持ちが何かに捕らわれると、動きを読まれたり、読みを読まれて裏をかかれたりしてしまうからだ。
で、僕は川口の眼がよくなったなあと思ったのだ。
EUROの番組で、川口の眼は普通の人の眼に比べると焦点が若干合ってないような感じに見えた。これは、眼球の奥の筋肉がリラックスしていて、ものがよく見えていて集中しているんだけれども、何かに気を捕らわれることもない、軽い瞑想状態に入っているときの眼だ。
彼はきっとピッチでも日常的にも、そういう軽い瞑想状態のままで行動する方法を体得したんだろうなあ。彼との1対1の局面になったアタッカーは相当やりづらいに違いない、と僕は思った。
1対1って、もちろん得点の可能性が高い局面ではあるんだけど、だからと言ってキーパーが圧倒的不利かというと、実はそうでもない。なぜならばキーパーは防ぎきればいいだけであるのに対して、アタッカーにはディフェンダーが追いついてくる前にシュートを打ちたいという気持ちの捕らわれが生じやすいからだ*2。PKだって、“仕掛けなきゃいけない”のはキーパーじゃなくてキッカーだ。
そういう精神状態のアタッカーに対して、キーパーが捕らわれのない状態で待ち構えているようなときは、1対1であってもなかなかゴールが決まらなかったりする。
だから僕は川口の眼を見て「ああ、ますますいいキーパーになってきてるなあ」とか思っていたんだけど、そんなところにヨルダン戦の4連続PKセーブなんかがあって、「ほら、やっぱり」と僕は一人で喜んでいた。
今書いても後だしジャンケンみたいに見えると思うけど。
トラックバックしてるついでと言ってはなんだけど、内田樹さんと川口能活選手や金子達仁さんとの対談をしてくれたら面白いだろうなあ、とか勝手にリクエストしてみて、今日はお終い。
(終)
<追記>
いつも見に来てくれている方、ありがとうございます。
やっと更新する気力が湧いてきたので、そろそろまたクリチバの話を書きたいと思います。もう少し待っててね。
サッカーと政治・イデオロギー
さて、内田さんの文章と、そこに寄せられているコメントに目を通した上で、僕はこのように思う。
まず事実としては、今回の件について、中国は少なくとも試合の上ではアウェーではなく「対戦カードとは無関係の第三国(しかもホスト国)*1」だったということを確認しておかなければいけないだろう。
確かにサッカーでは(他のスポーツでもよくあることだが)、強いチームと弱いチームの対戦が中立地で行われる場合、観客が弱いチームを応援したり、強いチームにブーイングを送ったりすることがある。しかしこれは普通、弱いチームが頑張ってくれたほうが試合が面白くなるからだったり、強いチームが名前や資金にものを言わせてチームを強化するのが気に食わなかったりするためだ*2。あるいは単なるやっかみかもしれないけど。
で、このように第三国でもアウェー的になることはある。けれども、重慶の中国人客のふるまいは、やっぱりちょっとおかしかった。
たくさんのアウェー、アウェー的な第三国での試合を戦ってきたジーコをして(彼はさぞかし目の敵にされてきただろうが、それをしても)異常だと言ってるんだけど、(少数のキチガイ客ではなく大勢の観客が)「帰れ」コールしたり国歌にブーイングしたりするのは普通のことではない。そもそも第三国ではなくアウェーだってこういうことはそんなにはない。強いチームがやっぱり強かったってなときには、ただため息をもらすだけだ。
重慶での話は、政治的イデオロギーが関与しているのは明らかだろうと思う。
じゃあ僕が、中国人観客がスポーツに政治的イデオロギーを持ち込んだからといって嫌な気持ちになったかと言うと、そんなこともない。暴力沙汰にならない程度に盛り上がってね、と思うだけだ。
僕は「スポーツに政治やイデオロギーを持ち込むべきでない」とは思わない。
正確に言うと、僕自身はスポーツに政治やイデオロギーを持ち込もうとは別に思わないが、だからと言って、他の人がイデオロギーを持ち込んだからといって、それを指摘してやめさせようとも思わない。また、他の国のスポーツを見ていて、その国の観客が政治やイデオロギーを持ち込んで声援を送ったりしているのを見ると燃えてきたり感動したりすることもある。
僕は「スポーツに政治やイデオロギーを持ち込むべきでない」とは思わない*3。
「スポーツと政治は関係ない」ってのが国際常識だ、という意見もあったが、なんかそれも違うと思う。それは日本国内(あるいは他の政治的に比較的落ち着いた国)の常識でしかない。
★
サッカーと政治・イデオロギーというと、僕はスペインサッカーを思い出してしまう。
「スペイン」と言ってしまうと1つの国のような気がするが、実際にはスペイン、バスク、カタルーニャ、アンダルシアといった複数の民族・国家の共同体という感じなんだそうだ。
スペインでは1930年代後半にフランコによる軍事クーデターが起こった。首都マドリーを占領したフランコは1973年まで独裁政治を行い、その間スペイン国内の独自文化を持つ他民族を抑圧した。ファシズムだ。抑圧されれば民族主義的な意識が強まって、レジスタンス活動もさかんになった。
そんな中、スペインサッカーは民族主義のエネルギーを吸って、つまり政治的イデオロギーを利用して、スポーツとしてビジネスとして成長してきた。1973年までだから、60代・70代のおじいさんに話を聞くと「収容所からホームチームの勝利をねがったもんだ」というようなのも出てくる。
レアル・マドリーがバスク地方のアウェイ試合に出かけていったなんて言ったら、それは大変なことだった。暴力沙汰にもなる。フランコの圧政中には、バスク人はバスク語を使うことを禁止されたし、ゲルニカという町は内戦で散々に破壊されてピカソの絵のモチーフにもなった。ETA(バスク祖国と自由)なんていう非合法のテロ組織もある*4。
そこまで過激じゃないバスク人サポーターも、レアル・マドリーに対してブーイングをし、口汚い野次を飛ばしただろう。きっと「帰れ!」と叫んだに違いない。
ときは流れて。
民族間・地方間の対立はだいぶ穏やかなものになった。リーガ・エスパニョーラ(スペインリーグのことね)はイングランドのプレミアリーグ、イタリアのセリエAと並んで、押しも押されぬ世界三大リーグの1つになった。
今もバスクのサポーターはレアル・マドリーの選手に向けて、やっぱりブーイングをし、口汚い野次を飛ばす。それに変わりはない。だがしかし、もしバスク人サポーターに今でも「帰れ!」と叫ぶかどうか聞いたらどんな答えが返ってくるだろう?
彼はきっとこう答えるに違いない。
「いや、そりゃあ、そう叫ぶときもあるかもしれないけど、心からそんなことを願ったりはしないよ。僕らにとって年に1回の、マドリーの奴らに目に物見せるチャンスじゃないか! 僕はその日をとても楽しみにしているんだ!」*5
こういうふうに考えるようになった人は、もう暴力的にやっつけようとは思わないだろう。だって、毎年仕返しするチャンスがあるんだよ?
民族主義のエネルギーを吸って成長したスペインサッカーは、民族間・地方間の対立が穏やかなものなっていく上で、重要な役割を担ったのではないかと思う。つまり、政治的イデオロギーを吸いつつも、それを暴力的なものから非暴力的で楽しいものへと向けてくれたのではないか。
暴力的に仕返しする代わりに、非暴力的に毎年仕返しするチャンスがあったほうが楽しいもんね。それは言われて気づくことじゃなくて、やっているうちに自然と気づくことだ。
そして「憎たらしい敵」は、いつの間にか「強敵(と書いて“とも”と読む)」となる。
レアル・マドリーは各地で悪役を演じると同時に、それらの地で確実にファンを増やしていった。今や、ホームチーム以外で好きなチームとしてレアル・マドリーの名を挙げるサッカーファンは――かつてマドリーから来た軍勢に破壊された町でさえ――多数派なのだ。
★
話は変わって。
僕は仙台に住んでいて、一時期ベガルタの応援のために毎試合スタジアムに足を運んだことがある。
仙台スタジアムは約2万人収容と、それほど大きくないのだけれど、観客席の上全体に屋根がかかっていて、これがもう素晴らしい音響効果を生んでくれる。歓声が逃げないのだ。満員に近い状態でベガルタがゴールしたときなんかは、ほんと、もうなんて書いたらいいかわからないくらいすごい。他のチームのサポーターも「あれはすごい」と言ってる人が多いので、他のスタジアムと比べてもほんとにすごいんだろう。
スタジアムに通い始めた僕は、サポーターとして2段階の変化をすることになった。
僕はまず「サッカーでは、サポーターの応援がこれほどまでにゲームに影響するのか!」ということを知る。
サッカー選手はサッカーマシンではない。
何千人、何万人の目。熱気。割れんばかりの歓声。歓喜。野次。ブーイング。怒り。
ホームチームの選手もアウェイチームの選手も、おかしくなる。なんて言うか、リミッターが外れて「こいつ、こんなことできるんだ!」みたいになったり、逆に力がまったく発揮できなくなったりする。ときには監督もおかしくなって、わけのわからない選手交代をしたりもする(そのほとんどははずれる)。
僕は、自分(たち)の声が、存在が、ゲームに大きく影響することがわかって、楽しくなってしまった。
そういうときは、とにかく何でもやってみたくなる。クラブチームだったから国歌はなかったけど、もし国際試合だったら、このときの僕はブーイングしたかもしれない。
いや、とにかく、面白いんだよ。これは経験した人しかわからないかもしれないけど、「ああ、こんなに違うんだ」ってくらい変わるときあるんだから。プロの試合が。
僕はもちろん、「帰れ!」と叫んだりもした。
それから何試合かして、「仕事とは言え、ブーイングを浴びせられるためにわざわざ遠いとこ来てくれてんだな、アウェイの選手って。」と思うようになった。相手がいなければ僕はブーイングすることすらできない。それはつまらない。
サポーターとして一回り成長したわけだ。
こうなると、対戦相手=「強敵(と書いて“とも”と読む)」と認識して敬意を払うようになるし、ブーイングにも若干愛情がこもるようになる*6。国歌のときはブーイングしないでおくか、とか、「帰れ!」だけはやめとくか、なんていうふうに、最低限のマナーを守ろうと思うようになるものだ。
重慶のお客さんを見た僕の印象は、「ああ、この人ら、第一段階にいるんだな」だった。
実際、オマーン戦、日本はかなり苦しめられた。それには客の影響が少なからずあったと思う。きっと、重慶の人たちは気づいたのだ。自分たちがゲームの1つのカギを握っていることに。
そこに政治的なもの、イデオロギー的なスパイスがちょっぴり入って、「ええい、日本なんかこうしちゃえ!」みたいな感じでエキサイトして、それほど悪気もなく、傍から見たらマナーに反することもやっちゃってるんじゃないか。僕はそんな気がした。
客レベル2に到達するには、何試合かこなすしかない。が、大抵の人は、何試合かこなすと自然とレベル2に到達する*7。
とりあえず、向こうがこちらを「強敵(と書いて“とも”と読む)」と思ってくれるまで、しばらく続けていくしかないように思う。
★
まとめ。
とりあえず、当面の間中国がまとまってくれるのは内田樹さんがおっしゃるとおり重要なことだ。それが反日教育によってまとまっているんだとしても、確かにまとまらないよりましかもしれない。
スポーツには、特にサッカーには、ナショナリズムとか民族主義とか、そういう政治的イデオロギーのエネルギーを吸って成長する側面はあるけれども、同時にそういうイデオロギーを暴力的な方向から非暴力的でハッピーな方向へ向けてくれるという特徴もまた、ある。
ま、これはあくまでもスポーツをやっていくことの副産物であって、政治の道具としてスポーツを利用する発想は気に食わないけど(そういう意味では、スポーツをイデオロギーや政治と切り離すべきだってのは正しいと思う)、だからと言ってせっかくのおいしい副産物をドブに捨てなくてもいいだろう。
スペインサッカーの歴史を踏まえて、僕は今回のアジア杯のような営みを続けていくことで、中国をまとめるための反日教育の影響のうちのネガティブな部分を将来的にはかなり軽減できると思っている。
だから、今、中国人観客に対してマナーが悪いとか他国への敬意がないとか言いたい気持ちもわかるけど、そういうとこにいちいち突っ込むよりも、向こうさんが日本を「強敵(と書いて“とも”と読む)」と認識してくれるまで、あのくらいの事態は起こるのだ、と覚悟して続けていくしかないかもしれない。そうなってはじめて、敬意が生まれてマナーを守ろうともするわけだし。
ただ、暴力・流血沙汰だけは徹底的に避けてほしい、避けるべきとは思う。
*1:コメントのblogさんの発言を引用
*3:ただ、スポーツがイデオロギーの違いなんかを超えてしまうことはたまにある。例えば共産主義者は、名前と金にものを言わせて優秀な選手を獲得して全世界的に金稼ぎをしているレアル・マドリーを好きじゃないかもしれないが、それでもマドリーの美しく流れる音楽のような攻撃を見たら思わずため息をもらしてしまうんじゃないだろうか。
*5:実際、レアル・マドリーがアウェイでする試合は厳しい。どんな下位のチームでも、本気で牙をむいてかかってくる。サポーターの後押しを受けて、目に物見せようとして仕掛けてくる。他のチームに負けてもマドリーには負けないぞって感じで、気が抜けない試合展開になることが多い。対マドリー戦は全世界に放送されるってのもあるだろうし。「今シーズンのスタミナ全部使っちゃんじゃないの?」と思ってしまうくらいだが、ほんとにマドリー戦で燃え尽きてその後失速していくチームもたまにある。
*6:ところが、見かけ上は一層激しくなる。アウェイの選手は、ブーイングを受けると楽しそうにしている。だって悪役を演じに来てるんだもん。そして、そのブーイングを受けて楽しそうにしてるのを見て、僕らはさらに苛立ってブーイングする。愛だ。
*7:ごく一部のアホを除き。
●サッカーアジア杯●
内田樹さんとこのサッカーアジア杯の話題(http://blog.tatsuru.com/archives/000262.php)にコメントが殺到しているって、id:pavlushaさんのところで知った(id:pavlusha:20040802#p4)。
おお、ほんとだ。
内田さんは前日(http://blog.tatsuru.com/archives/000261.php)に、
メディアに寄稿するときは、そのメディアの読者層が詳しい話題を意図的に「はずす」のが戦術上の基本である。
情報誌には哲学のことを書き、学会誌にはホラー映画のことを書き、哲学書には武道の術理のことを書いていると、誰にも咎められずに「言いたい放題」ができる。
そして、専門家からのツッコミを恐れてびくびく書くよりは、怖い者なしで言いたい放題に書いたものの方が(学術的厳密性はさておき)、生産的なアイディアを含むことが多いのである。
っておっしゃっているのだけれども、もしかしたら言ってる先から地雷を踏んじゃったのかも。