●構造主義って、そういう話だったのね。●

週末に、内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』(ISBN:4166602519)を読んだ。「構造主義」という字面からしてシステム論との関係が深そうだと思っていたら、やっぱり。もっと早く読んでおけばよかったなあ、と思った。


特に目に付いたところをまとめ。


●まえがきより

  • 「私(たち)は何を知らないか」「私(たち)はなぜそのことを知らないままで今日まで済ませてこられたか」が知的探求の原点。
  • 無知とは「知らずにいたい」「自分があることを『知らずにいたい』と思っていることを知りたくない」という努力の結果。
  • 「分かりやすい」と「簡単」は違う。むしろ「話を複雑にする」ことによって「話を早く進める」ことができる。以下引用。

「『他者』といったら、まあ『他の人』だわな」くらいのゆるやかな了解にとどめておいて、とりあえず話を先へ進めたいと私は考えております。

あはは。僕も同じ考え。



●「脱−中心化」「非−中枢化」
中心を持たないネットワーク形成運動があり、そのリンクの「絡み合い」として主体が決定される。



フーコーの章からの引用。

歴史の流れが「いま・ここ・私」へ至ったのは、さまざまな歴史的条件が予定調和的に総合されていった結果というより、(「鉄の馬」に代表される)さまざまな可能性が排除されて、むしろどんどんやせ細っていったプロセスなのではないのか、というのがフーコーの根源的な問いかけです。

ん〜、進化論に通ずるところがあるなあ。



●バルトの記号論より「エクリチュール
このブログでも、一人称が「私」とか「僕」とか「俺」とかころころ変わる。どれがしっくりくるか試してみているんだけども。一人称を変えるとニュアンスはもちろん変わってくるけど、書いてる自分自身の思考回路というか、そういうのも微妙に変わる気がする。



レヴィ=ストロース

  • 二進法的発想法を、人間社会のすべての制度に当てはめてみる
  • 「贈与」、「反対給付」、欲しければまず与えよ
  • すべての社会システムは存在し続けるために「変化」を必須としていて、同じ状態にあり続けることができない(同じ状態にあり続けているように見えるものも、停止しているのではなく、同じ状態に変わるという循環的な変化をしている)。

存在し続けるために変化が必須だってのは、社会システムに限らないけど。化学でも「(動的)平衡状態」とかあるしね。



ラカン

  • 鏡像段階
  • 記憶は「過去の真実」ではない。
  • 父の否=父の名
  • “articulation”と“articuler”
  • (停滞している)コミュニケーションを「物語を共有すること」によって(再)起動させるのが、「共生」のための戦略

さて、この中から2つピックアップして、フラーやシステム論と絡めてみる。