レルネル市長就任以前のクリチバ略歴

  • 1693年 移住者のリーダー、マテウス・レメによって最初の行政単位としての村が設立される。
  • 1812年 牛の輸送路がクリチバを通るようになり、これが人口増加・産業成長のきっかけとなる。
  • 1853年 パラナ州の州都となる。
  • 1934年 世界恐慌の影響で経済が停滞し、公共事業のための予算も不足していたため、行政は都市計画の必要性を認識し、都市計画委員会を設立。アルフレッド・アガシによるマスタープラン策定(ブラジルの他の都市と比較しても最も早い時期に作られた)。
  • 1940〜60年代 急激な人口増加によりアガシ・プランは座礁。新しい都市計画が必要となる(しかし、都市計画が必要であることを認識させたという意味で、アガシ・プランの功績は大きかったことが指摘されている)。
  • 1964年 新しいマスタープランのコンペティションで、ジョルジュ・ウィルハイムとジャイメ・レルネルが中心となった研究会が最優秀賞を取る。レルネルらは、都市交通システム、土地利用、歴史保全を基礎とした都市デザイン案と、都市計画のための情報収集組織の必要性を訴えた。
  • 1966年 クリチバ市都市計画研究所 IPPUC(「アイパック」ではなく、ブラジル風に「イプキ」と読んでね)という公的機関が設立される。同年、マスタープランが承認され、イプキによってプランを具現化するためのプロジェクトの計画が作られた。
  • 1999年 レルネルがIPPUCの所長となる。
  • 1971年 レルネルが若干33歳にして1度目の市長就任。


※服部圭郎著『人間都市クリチバ 環境・交通・福祉・土地利用を統合したまちづくり』(ISBN:4761523395)を参考に製作。

…ちょっとその前に。


僕は実は前の段落で2つほど、ちょっとしたウソをついた。



1つは「経済成長した」について。

「市民総生産」はたいしたことない。だってブラジルだもん。物価も違うし。金額的にはそれほどでもない。

しかし実質ベースでの経済*1は豊かなもので、雇用が確保され、サステイナブル(持続可能)な社会に向かって進んでいる。
市民の満足度も高いそうだ。1990年代初期の調査によると、ニューヨーク市民の60%がその都市を離れたいと考えているのに対して、クリチバ市民の99%が他のどこにも住みたくないと回答。サンパウロ住人の70%がクリチバの生活のほうがよいと答えている。
この辺はクリチバが抱える今後の課題と重なるので、また最後のほうで書くことにしよう。


もう1つはレルネル市長が若くして大抜擢されたことについてだ。

彼の就任当時のブラジルは軍事政権下にあった。若かった彼は言わば傀儡として、パラナ州知事によって任命されたのだそうだ。能力は期待されず、むしろ余計なことを何もしないことを期待されて着任したわけだ。

しかし彼はやってしまった。彼は市民の信頼を勝ち取り、市民と協力して街づくりに取り組み、成功を積み重ねていった。今やレルネル氏はパラナ州知事という役職に就き、数年後には大統領候補との呼び声も高い。

レルネルは着任早々、政治生命を賭けた勝負手に打って出る。明日はそのあたりから書くことにしよう。



●街へのシステムアプローチ 2●(id:Bonvoyage:20040618)へつづく。

 

*1:お金以外で測られるモノやサービスの流れをも含めて考えると、ってことね。

その街の名は…


驚異的なことに、自家用車に頼らず、先進国の都市に負けないような経済成長をも果たしてしまった街が、ブラジル南部に実在する。ブラジルは決して豊かな国ではない。だがそこに、「第三世界に出現した第一世界をも上回る都市」とも称される街が、確かに存在するのだ。

さあ紹介しよう。その名は…


そう、その名はクリチバ

サンパウロから南西に位置する、パラナ州の州都クリチバ市だ。


50年前のクリチバ市は、農業中心の貧しい土地柄だった。資源に乏しく将来の人口爆発に怯える、第三世界によく見られる寂れたところだったそうだ。
しかし、1971年に若干33歳の建築家・アーバンプランナー(都市計画専門家)、ジャイメ・レルネルが市長に大抜擢され、歴史が大きく変わることとなる。彼は改革に着手し、市民との協同作業により、たった30年間で悲惨な経済状況から抜け出し、教育、健康、福祉、治安、市民の政治参加、政治的安定、環境保護、共同体意識の向上を達成した。今のクリチバは、周辺の都市はもちろん、アメリカのほとんどの都市と比べても明らかに優れているという。


どうしてそんなことが可能だったのだろうか?
端的に結論を言ってしまえば、彼らが常にシステム的に物事を考え、システム的に物事に取り組んできたからだ。


では、僕らの街でも彼らのような成功が見込めるだろうか?
答えはYesだ。彼らに習って、システムアプローチを試みればいいのだ。


僕らの街の多くでは、さまざまな都市問題に対して、いつも個別に1つずつ対応しようとする。これが僕らの世界の古くて腐りきった一刻も早く捨てなければならない常識だ。
しかし、システムアプローチの常識においては、個別に問題に取り組んでうまくいくことはむしろまれだということがはっきりわかるだろう。システム論では関係性・連動性を重視する。ある問題と他の問題は有機的に関係しており、その関係性を無視して問題に取り組めば、1つの問題を解決するごとにもっとたくさんの問題を生み出してしまうことになりかねない。それがシステム論から得られる自然な結論だ。

あるシステムの構成要素だけを取り出して最適化しようとすると、システム全体が最悪化するおそれがある。また、構成要素間の隠れた関連性を見落としてしまうと、その関連性は有利に働かず、逆に不利に働く状況をつくり出すという傾向がある。

(中略)

(引用者注:都市では)ある問題の原因が、実は以前に実施した何かの対策の手抜かりだったり、ブーメラン効果だったりすることが多い。たとえば、広い道路を建設したためにかえって交通量が増える、河川に水路を開いたために洪水が悪化する、ホームレスを収容したために収容施設で肺炎が蔓延する、刑務所の受刑者に職業訓練を施したため知能犯が増える、などといった問題だ。こうした問題を解決するには、個々の問題に取り組むのではなく、多数の問題を同時に解決または回避することができ、新たな問題が発生しないような方法を見つけることである。こうしたシステム全体を考えるアプローチなら、それぞれの問題の因果関係を明らかにできるばかりでなく、解決が困難な問題をチャンスに変えることもできる。つまり、地域社会も社会全体も、建物の設計と同じでシステム全体の設計をよく理解し、リーン生産方式の工場のように無駄のない簡潔な技術を用い、これまで紹介した優れた企業と同じような起業家精神をもって管理運営する必要があるということだ。


『自然資本の経済』(ISBN:4532148715) 452-453ページより引用

これこそが、システムアプローチの常識なのだ*1


ではクリチバ市の歴史、その改革のプロセスを一緒に見ていこうじゃないか。

*1:この考え方は個人として生きる上でも非常に有効なので、常に頭に入れておくといいと思う。

都市システム論へのプロローグ。


2001年11月28日(か27日か29日)、トラブっていた大学教官と言い合いをし、とりあえずの和解にたどり着いて、「よし明日からまた研究に励もう」と気持ちを新たにしつつバイクを運転していた帰宅途中だった。
一時停止箇所で止まったところ、僕は後続のバイクにおカマを掘られてしまった*1

外傷なし。身体に異常はない。バイクからは衝撃による内部からのオイル漏れ。事故の相手があまりにも必死に謝るので、僕のほうが「まあ、そんなに気に病むことはないよ。バイクの修理だけしてもらえばいいから。とりあえず今のところは身体に異常はないし」となだめる。免許証の控えと携帯番号をメモ。相手方の保険が下りるように、また後で身体の異常が出たときのために、警察を呼んで手続きを済ませる。


次の日、朝起きると首と背中に違和感が。「どうして気持ちを切り替えて研究に向かえるようになった途端にこうなっちゃうのかなあ」という思いと、「だから毎日バイクで通うのは嫌だったんだ」という思い。苛立ちを抑え、事故の相手に連絡。それから大学にも遅れるとの連絡。


修理費、治療費、慰謝料、問題なし*2
最初は近くの整形外科に通っていたが、あんまりよくないのでレントゲン検査と数回通っただけでやめにして、知り合いの教えてくれた接骨院にしばらく通った。そこで働いている人たちはすごく腕がいいし、人柄もよかった。マッサージ、整体、たまに鍼。街でよくあるマッサージは20分2000円くらいするけど、そこは健康保険も利くから1回600円くらいだった。
それでも回復には長くかかったし、今でも事故前の体調には戻っていない。


ムチ打ちはひどいときは首から背中、腰へと痛みが広がるし、めまいや吐き気がするときもある。集中力が途切れる。とてもとても、危険な薬品を使う実験なんかする気にならない。バイクに乗って研究室に通う気にもならない。途中でめまいでも起こしたら大変だ。
「今日は大丈夫だ」という日は研究室に通うが、周りからは徐々に冷たい視線。大丈夫な日だけ通っていたので、彼らには僕が前と同じように健康で元気なように見えてしまうみたいだ。そんなに元気ならもっと頑張って学校こいと。いや、こっちはこれ以上できないくらい頑張ってたんですけど。


研究を休んでいる間は、一日中横にならないといけない日もあったが、「それほどでもないけど、いつ悪化するかわからない微妙な感じ」の日もあった。そういう日は、本を読んだり、JMMの過去ログ*3を読んだりしていた。丁度9・11の後で、専門外のこともいろいろ知っておきたかったのだ*4


さっき「だから毎日バイクで通うのは嫌だったんだ」と書いたけど、僕はその当時、バイクツーリングは好きだったが、バイク通学には嫌気がさしていた。

冬は道路が凍ってて危ない。仙台は雪は少な目なんだけど、その分ブラックアイス*5になる。そうすると水なのか氷なのかわからないときもあるし、夜なんかだとそもそも見えなかったりして、思わずその上に乗ってしまい転倒する(しそうになる)ことがある。

そもそも東北大の理系のキャンパスはは山の上。通学路はうねうね曲がった急な坂道。カーブでのスピード出しすぎか何かで横にひっくり返った車を、年に1回くらいは目にする。

しかし研究は夜遅くまで続くことが多いから、バス通学もままならない。そもそもバス路線が通っているのは街中(駅→商店街→高級マンション街→大学)で、駅から大学へはバスで行きやすいけど、学生が住むような住宅地から大学へはバスだとかなり遠回りになってしまう。駐車場が満足できるほどにはないから*6、多くの学生はバイク(原付)通学をしている。

大学周辺では毎年何人も学生が死んでいて、道端のあちこちに花束が置いてある。

なんかおかしくないか? 街のデザインが間違ってないか? そういうことを感じていた矢先の事故だった。文字通り骨身にしみる形で気づかされたわけだ。


日本の街はほとんど行き当たりばったりに開発されてきたし、また、自家用車中心の街づくり・運営がなされてきた。そして、人間が100%健康で元気な状態を基準にして、すべての物事が進んでいく*7。その結果、街はむしろ住みづらいものになってしまっているのではないか。

車中心ではなく、そこで生きる人間に焦点を定めた街づくり・運営ってできないんだろうか。もちろん便利さは失わずに…。


そんなことを考えていた折、僕は(確か)JMMで知った、ポール・ホーケンとロビンス夫妻の共著『自然資本の経済』(ISBN:4532148715)を何気なく読み始める。
この本は過去の日記でも何度か取り上げたが、僕らの抱えているあらゆる問題に対してシステム・アプローチを試み、経済と技術とエコロジーのプラスサム関係を構築するための具体的手法を主題に、一般人でも分かるような言葉で、具体例をたくさん挙げ、詳細にしかも簡潔に書かれている良著だ*8


首と背中の痛みの中ベッドに臥せたまま読み進めて第14章に差し掛かったとき、僕は、驚愕した。

なんと、そこには僕がその時抱えていた問い「車に頼らない街は可能なのか? 可能ならば一体どういうデザインになるのか?」への1つの答えが書いてあったのだ!

*1:追突の隠語ね。念のため。

*2:本当は少しだけあったけど。相手の自賠責が切れてたから、彼は治療費と慰謝料の分は自腹を切った。修理費は任意保険が下りた。

*3:今は非公開のようだけど、当時は公開されていた。

*4:そう言えば、事故にあった瞬間も、ビルに飛行機が突っ込む映像が頭の中で再生されたなあ。

*5:路面に薄く氷が張っている状態。

*6:加えて経済的な事情で。

*7:これは日本に限ったことじゃないだろうけど、他の国のことはよく知らないので日本と言っておく。

*8:この本に匹敵するレベルの本はほとんど見たことがない。

オマケ4 「平気」


言葉つながりでもう1ネタ。


前に付き合ってた女性が、「平気」という言葉をよく使っていた。

僕が「大丈夫」「問題ない」という言葉を使うところで、彼女はその代わりに「平気」を使う。


例えば電話で映画を見に行こうという話をするとき、「じゃあ、今度の日曜日、大丈夫?」と僕が聞くと、「平気だよ」と彼女は言うわけだ。もちろん彼女から何か聞いてくるときは「平気?」とくる。
この彼女の「平気」という言葉の使い方が、僕はたまらなく好きだった。


「大丈夫」「問題がない」という言葉には、どちらかと言うと「現実としてノープロブレムだ」というニュアンスを僕は感じる。

それに対して「平気」という言葉には、どちらかと言うと「現実的に何か問題がある(生じる)にしても、いいよ」というニュアンスを感じる。気持ちや意志の問題ね。それに、「へーき」という音の響きがなんとも言えなくかわいいじゃないか。

別にどういう意味で使ってるか聞いたわけじゃないから、本当のところはわからない。彼女自身はどちらも「ノープロブレム」の意味で使っていたのかもしれない。


彼女は昔、小児喘息に長く苦しんでいたそうで、そういう話を聞くと「平気」という言葉使いを妙に意味ありげに感じてしまう。咳き込みながら母親に向かって「平気」とつぶやく彼女の子供時代の姿が目に浮かんでくる。
付き合っていた頃、僕は彼女に「苦労を乗り越えてきた人特有の柔らかくてしなやかな強さ」みたいなのを感じていたんだけど、「平気」はそれを象徴するような言葉でもあった。

ところが僕に影響されたのか、いつからか「平気」じゃなくて「大丈夫」を使うようになってしまって、少し残念に思ったのを覚えている。


なんか未練たらたらに見えるかもなあ。でもしょうがないや。いい女は数少ないもん(お、自分で認めたね)。


(終)

オマケ3 短い言い回しほど難しかったり。


id:Ririka:20040614#p2


“No woman, no cry”って、受験生時代には「女がいなければ泣くこともない」と覚えた気がする。

姫の父君(王様?)がかつて「女よ、泣くな」と訳したそうで、これはジャマイカ英語独特の言い回しなんだって。「やめろ女よ、泣かないでくれ」って感じなのかなあ。わかんないや。僕は英語すら怪しいわけで。


僕はこれを読んでいて、ふと「全然いい」「全然OK」って言い回しを連想してしまった。共通点は呼応表現*1。“No woman, no cry”も、呼応表現として見たときと、わざと呼応を切り離して見たときの違いなのかな、というような気が一瞬したのだった(この考え方が間違ってる可能性は高いけど)。



もうこんなこと誰かが言ってると思うけど書いてみる。

一時期、「全然いい」「全然OK」という言葉使いに対して「そんな使い方間違ってる!」「呼応が間違ってる!」というような指摘をする人・学者がいっぱいいた。

この問題は、ごちゃごちゃとした議論の挙句、辞書に新しい意味が付け加えられることでひとまず決着がついたみたいだ。

ぜんぜん 0 【全然】


一(副)
(1)(打ち消し、または「だめ」のような否定的な語を下に伴って)一つ残らず。あらゆる点で。まるきり。全く。
「雪は―残っていない」「金は―ない」「―だめだ」
(2)あますところなく。ことごとく。全く。
「一体生徒が―悪るいです/坊っちゃん漱石)」「母は―同意して/何処へ(白鳥)」
(3)〔話し言葉での俗な言い方〕非常に。とても。
「―いい」


二(ト/タル)[文]形動タリ
すべてにわたってそうであるさま。
「実に―たる改革を宣告せり/求安録(鑑三)」


<goo辞書より引用>

一の(3)「〔話し言葉での俗な言い方〕非常に。とても。」がそれだ。


僕はこれを見ると、一方で「えっ、そうなの?」っとびっくりしつつ、他方で「間違ってるって指摘した人や学者って物知り顔してるけど、もしかしたら相当バカかもしれない」と思ってしまう。僕が実際に使っているときの感覚と全然違うんだよね。


僕の個人的な感覚としては、「全然(ダメなんてことはなくて、)いい」というように、一の(1)の呼応表現の“応”を端折って結論を言っちゃう用法なんだよね。だから、端折ってはいるけど一の(1)に照らしても間違っているわけでは全然ない。


「全然いい」には、「揺らぎ」とか「振り子が振れる」ようなニュアンスが含まれているように思う。

例えば、「俺のこのアイデアどうかなあ」という相談に対して「全然いいよ」って答えた場合は、何というか、相手への気遣いみたいなニュアンスを感じる。「ダメじゃないよ、いいんだよ」という感じ。
車を運転してて「なんだよ、こっちの道の方が全然早く着くじゃん」という場合は、「こっちの道のほうが着く時間が早くないと思っていたけど早い」「あっちの道が最短だと思ってたけど、もっと早く着くルートがあったのか」みたいな。

これを「全然いい」=「とてもいい」とまとめてしまっていいのだろうか?


そんなわけで、僕はこの新しく辞書に付け加えられた意味を見ると、「ひょっとしたら俺の使い方が特殊なのかな?」と思いつつ、「もし俺の使い方が一般的だとしたら、言語学者*2ってのも相当アレだよね」とも思ってしまうわけだ。

実際のところは、どうなんだろ?

*1:文中で、上にある種の語句があると、下に一定の語または言い方が必要となること。係り結びもその一種。そのほか、「恐らく」の下には推量の助動詞が来るなどの類。(goo辞書より)

*2:なの? こういうのを担当するのは。よく知らない。